
災害は忘れた頃にやって来る
浜松河川国道事務所主催の「戦後70年天竜川大洪水の記憶」が金原明善の生家で行われました。明善翁は天竜川の治山治水事業に生涯を尽くした慈善家で誰でも知っている明治の英傑です。今、生家は記念館になって多くの資料が展示されています。初めて見学出来て驚きも多く感じられました。教育にも熱心で今の生家を学校にも使用された事実を知りました。
明善翁は慈善事業のために往時の中央政府総理や多くの人脈を持っていたようでした。今も昔も大きな事業をするには1個人の資産だけでは到底困難で中央からの資金調達が不可欠であったのだと政治手腕も偉大な人であったと改めて感じました。
70年前の天竜川の大洪水の原因は戦況が不利になった昭和20年本土決戦のために遠浅の遠州灘に敵が上陸すると言う対策に沿岸警備をしようと防空壕を堤防の下に掘り1個小隊が約25人くらい生活出来る規模の防空壕を作りました。約30m幅3m高さ3mくらいであったでしょうか?出来上がった壕の上は何時に変わりなく人も車も行き来しました。9月末から長雨が続き川の水位が上げって堤防の上から手が洗えるほどの増水でした。妙な現象もあり蟹が座敷に上がって来るのです。祖父に聞けば「大水が出るぞ」でした。昔からの諺でしょうか。
空洞化された堤防は浸透圧により水が漏れ始め近所の人たちも手の打ちようもなく案じるばかりでした。間も無く掘った通りの長方形で堤防が陥没しました。一挙に幅30mの濁流が15m下の集落に滝の如く流れ込みました。堤防の決壊幅も150mほどに広がり大洪水になり流失家屋716戸死者34人を出す悲惨な結果になりました。終戦と共に兵隊は帰郷してしまい空洞化し弱体化したのが原因でまさに天災でした。 終戦直後のことで何の保障も無い惨めさを味わったのは被災者でした。形の変わった戦争の犠牲者でもありました。防ぎようの無かった災害ですが戦争が無かったら被害は起こりませんでした。豊かな平和の中にも「災害は忘れた頃にやってくる」自然発祥以外の人災にも特に国同志の争いに心したいものです。ひとり言