東北大震災から満4年

東北大震災から満4年
東日本大震災から満4年

 大震災から満4年が経過しました。改めて5カ年計画が発表されました。まだ5年も?被災者の方は夫々に困難な生活をされています。汚染の故郷に帰られない人、仮説住宅から動けない人、知人や親戚をつ手に県外に移住された人などなど。
 困難の第一は住宅。第二は故郷に行き来する費用、第三は食事の問題だそうです。4年経ったいま5年計画で総ての問題が行政の力で回復するのでしょうか?すでに静岡県に移住された方は福島県だけで650人居られますがもう帰らないと決め手居るそうです。
 私も終戦直後の昭和20年に敗戦後の戦時未処理で天竜川の洪水で家屋敷田畑を総て失い当日のご飯住いの手立てが無く知人に助けられました。被害者の一人です。規模こそ小さい災害でしたが水が引いた後は川原の有様でした。田畑も面影は無く砂ほこりの立つ川原に変貌しました。平和な現在では行政の支援がありますが、当時は何の支援は無く各自が必死になって生きる術を見つけ現在に至っています。我家も現在地に父が手当てした古い屋敷にお蔵があり補修して住いを手当てすることが出来ました。父は日雇いに、姉は銀行に勤め、私は悲惨な家計の中、高校まで出して貰いました。終戦直後のこととて食料品の不足は日本中何処も当たり前で、白いご飯なんて夢でお米の中に雑穀や野菜を炊き込みました。父から川原となった砂と畑の土を入れ替えるためにシンガエシ?を手伝わされました。まさに力仕事でした。お蔭で野菜や麦が作れました。母は屋敷の空き地に蕎麦や野菜を植えました。様々な家の手伝いは当たり前でそれが社会に出てから役立ちました。当時の私のおやつは柿でありみかんで、食べ盛りの空腹を満たしてくれました。学校から帰宅すると包丁を持って柿の木に登って木の上でのおやつでした。
時代が違うことは明らかで行政の支援は絶対必要ですが、支援を当てにせず自分の生き様を掘り起こすのも一案では?と身勝手に被災した自分の思い出を重ねてみました 。ひとり言


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